到知の記事を毎月ひとつ紹介
現地の愛加那との間位に設けられた最初の子供です。
当時の薩摩藩では属国の奄美の女を本土に連れて行くことはできず
明治の世になり9才(佐野氏説)で初めて隆盛に引き取られています。
そんな菊次郎17才、西南の役で右足を切断、以後奄美大島で余生を~のつもりが
叔父である従道に東京へそこから米国留学の実績を買われ
自分の花を咲かす舞台である「台湾」へと渡ることになりました。
当時台湾は日本が初めて持った植民地でその統治に困難を極めていました。
多くの匪賊を帰順させ台湾発展の基礎を築いていったのです。
その菊次郎の三男が拓殖大学の理事長となりこの記事へと続いています。
私たちの今は過去から紡がれてきた歴史の延長線であることを感じます。
丸三社長