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第63回全社経営会議(平成30年7月豪雨被災体験)

7月26日に第63回全社経営会議を開催

 

冒頭は平成30年7月豪雨により実家が被災されたナカノさん

ヤマモトさんが中心になりで集めた災害義援金を贈呈しました

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第63回全社経営会議前半は被災体験談

大月町安満地のご実家被災~一時復旧までの一週間を語ります

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ナカノさん被災体験談

7/8の朝08:00、75歳になる父親から「家が浸かった」と電話がかかってきました

母親の声は震えていましたが、とにかく二人の無事を確認できました

もうすでに水は引いているという事で作業着、長靴などを準備、大月へと車を走らせます

途中で「水、スコップ」などの必要だと思うモノを買いこんでさらに西進

すると大月へ通じる道路が全て崖崩れにより通行不能と判明日曜日は中村泊まりとなりました

翌、月曜日道路が通行可になったとの事で大月へ向かいます

仮復旧の道路は本当にこんな所通っていいのかそんな状態でした

車をドロドロにしながらなんとか実家の大月町安満地へ到着

被災状況を目の当りにした第一声は「唖然」でした

道路は全て泥で埋もれ、どの家も水没した跡、各所の土砂崩れ・・・

平屋の実家は少し高い場所にあった為50cmほどの床上浸水でした

ほんの少し下の家屋は一階の天井まで水がきたそうです

顔を合わせた両親に被災の状況を聞くと

「7/8、05:00頃にいきなり畳が浮いて洪水に気づいたそうです

ベットの下に靴を置いていたのでそれを履いてすぐに逃げ出すと

外の水はもう胸の高さにまで達していたとの事です

恐怖の中、泳ぐに近いような形で何とか浸水地域から脱出

命からがら近所の家に身を寄せたとのとこでした」

↓写真は被災から4日経過してからの木曜日↓

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手前に見える二階建ての二軒奥に生まれ育った実家があります

トラックに積み込まれる家具を眺める白いTシャツが75歳の親父です

乾かしたらまだ使えると言う両親を妹と二人で「もういかんき」

と説得して何とか捨てさせた事は心が痛みました

話を月曜日に戻します

両親の無事を確認し次に行ったのは家に入った泥を除ける作業でした

豪雨明けの炎天下の中、休憩を取りながら作業を続けます

泥だらけだった前の道路も消防車の放水によりアスファルトが見えました

この頃には被災してない近所の親戚が数人応援に入り

家財や日用品をごみとして一つずつ出していきます

水に浸かったタンスは引き出しを引くこともできず

バールを使ってこじ開ける、泥まみれの思い出の品とお別れ

少し片付いたらまた泥を除け次のエリアのゴミだしと

こうした作業を少しづつ続けて水曜日を迎えます

水道が復活したその日はボランティアの方に

来ていただいて大きな家具を運び出す事ができました

「本当にありがたかったです」

そして金曜日、高知市内の従兄弟が消防の仲間を5人連れてくれました

全く手つかずだった床下に入り込んだ泥を全て掻き出してくれました

全員の泥まみれの姿に本当に感謝です

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地域によっては大量の土砂が流れ込んでおり

自衛隊の方々はそうした場所の復旧をしていました

毎日ボランティアさんに来ていただく募集をだしてはいましたが

今回の大月は絶対的にボランティアの方々の人数が足らず、、

家に来て頂けたのはもう一日だけとなりました

妹、近所の親戚、高知の従兄弟と仲間達、ボランティアの方々

多くの方々の協力をいただき述べ10日程の作業で

実家の一時復旧(泥、ゴミ出し、掃除)は何とか終わりました

多くの人の優しさに触れ何度も涙しました

しかし実家は住めるような状況ではなく両親は近くの家に仮住まい中です

今回の被災体験を通じて感じた事は知られていなかったという事です

岡山や広島の被害報道が多く大月町は巨岩石の落石ばかりが目立ち

大月町の被害はTVや新聞であまり報じられませんでした

災害明けの3連休はボランティアの人数も増えると期待していたのですが

残念ながら殆ど増える事は無くボランティア不足が続きました

大月の安満地や橘浦がどうなっているかは知られていなかったのです

そしてその知られていないと言う事実は私たち丸三でも同じでした

ナカノさんの実家が被災した事を知らない、被災状況を知らない

もし伝わっていれば違った一週間があったかもしれません

以前作成したBPCの連絡シート今一度息を吹き込む必要がありそうです

            丸三社長